本名を鈴木精一と云い 大正3年3月16日、名古屋市熱田区中瀬町で父正五郎の長男として生まれ、昭和62年1月8日享年72歳で逝去するまで、まさに大正琴一筋の人生を送りました。

精一が大正琴と出逢ったのは13才の時、当時(昭和の初め)大須で開業していた池田楽器店の店先です。店主の池田太郎が演奏する大正琴の音色の美しさに魅せられて、早速弟子入りを乞い、演奏者としての道に飛び込みました。

しかし、日本は次第に軍国調に移行し、大正デモクラシーの中で育った大正琴は日陰的な存在に追いやられたばかりでなく、精一自身も軍隊に招集されて中国で終戦、捕虜収容所の生活を送る身になりましたが、捕虜生活の中では特技を活かして手作りの大正琴を弾き、収容者の単調な生活を慰めたり、荒んだ心に潤いを与えました。、

復員して間もなく、大須界隈の廃墟の中で、埃にまみれた大正琴に再会してからは、広告会社に勤務する傍ら大正琴の演奏活動を再開し、新しい琴の考案にも傾注した結果、音量を調節できるアンプを埋め込んだり、「高音」「中音」「低音」の三種類で合奏できるものなど、新しい琴を次々に開発して静岡のメーカーに製作を依頼し、現在使われている大正琴の原型を築きました。

大正琴の本格的な普及活動に取り組むため、昭和43年に広告会社を退職し、師匠池田太郎の教えに因んで「琴城流」を創設するとともに、自ら家元に就任、芸名を「鈴木琴城」と名乗りました。

明治百年記念に古賀政男氏が大正琴を奏でたなつメロを契機に訪れた大正琴ブームの波に乗ったとは云え、大正琴の教本や譜本の発行を始め、全国的な普及活動をするなど、数々の業績を残しています。






3.3.16. 
誕 生。
15...
池田太郎に師事。(名古屋市立工芸学校二年在学中 13才)


15...
陸軍造兵廠名古屋工場にて工長。
18.9.6.
応召(岐阜68連隊)
21.6.2.
復員
22...
広告会社に就職。
30.10..
古道具屋で、大正琴と再会。
32...
アンプ組み込みの電気大正琴考案。
35...
アンプと接続した改良型の実用新案。(舞台演奏も可能となる)
40...
大正琴教室 第1号を開講。(浅井画廊の三階)
43...
広告会社を定年退職。
43...
エレキ琴「チェリーハープ」(桜琴)を完成。
43.4..
『琴城流』を名乗る。
43.8..
『鈴木琴城』と名乗り、『初代家元』に就任。




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